02/09/2023 Thu |
日本は戦争で本当の屈辱を味わいませんでした。
どうせ痛い目に合うまで戦争する方向に突っ走ります。私はその顛末が目に見えるし、嘲笑ってます。 想像力がない上、プライドだけは人一倍強いからね。 本当の屈辱とは、民族性、アイデンティティ、自己同一性のもろもろの、全否定の事を指します。 日本人には、そういった体験は、ありません。 はっきりした勝算があって戦争するならよくわかりますがね。 それがなければ、どうせ負けてもどうってことがないという楽観視とか、結果なんてわからんけど玉砕しろという以前あった精神が残存しているかどちらかですね。 人は痛い目に遭うまでそれを繰り返すことをやめないという心理があるからね。 まあ痛い目に遭っても学習するどころか被害者ツラを振りかざすようであれば、その者に進歩はありませんよ。 脳みそそこで止まっちゃったんでしょうとしかいいようがない。 今流行りの画像生成などのAI、とくにGANアーキテクチャの構造知ってますか? ひたすら「あんたは間違いです」という情報を叩きこみ、修正を繰り返していくんですよ。 あるいは「それは正しい」と教え、そこを強化していくことでもありますね。 人間は絶えず、自分の理想とする者と自分自身との損失関数とか誤差関数を算出する必要がありますよ。 そして誤差逆伝播にて勾配更新させるべしですね。 このような理想の学習スタイルをAIに乗っ取られ悔しくはないのか? まあ暇さえあれば優越感を感じるためのマウントと嘲笑を繰り返すのが現代人でしょ? しかしそれは本人の敵対者である識別者の役割です。 いっておくが、本人自身はジェネレーターにならないと成長はままなりません。 いつだって出鱈目で、傷つき、そして物乞いでなければならんのです。 自分は誹られていると感ずるものだけが勝利するんですよ? 担ぎ上げられている者に訪れるのは、老いて必要とされなくなり、惨めにやってくる死だけです。 誰からも必要とされなくなる日が、人間には例外なく訪れます。 それを早いうちから体験して一度死んでおくか、偽りの称賛に身を沈めるかのどちらかでしかない。 私は二度死を体験しました。一度目は誰からも必要とされなくなるという体験です。 二度目は、そののち必要とされて担がれたあげく、全ての人間から嫌われるという経験です。 その経験を、早いうちからやっておいたほうが人は自分が実の所何者なのかということに気が付けるでしょ? 誰からも承認されないという上で、本当は何が欲しいのか、もうすぐさま洗い出せるというわけですよ。 そして、生きているうちは、担ぎ上げと引き落としを、無限に繰り返す可能性があるということです。 何度も有頂天になったあげく、全員に見捨てられ、再び考え直すというサイクルのことですよ。 キリストなんかは一回的であり、たった一度見捨てられて命を落とし、それで神になりました。 そんなこと二度も三度もあったら神を超えています。 しかしいわせてもらえば、それなら現代AIは神を超えたのです。 なんせ担ぎ上げ(正)と引き落とし(否)の無間地獄に陥ったのですからね。かの成長力とは、無限大ですよ。 でもその体験を一度でもした時、現代人は間違いなく命を落とす時代となりました。 承認だけが全ての世の中ですよ。 非常によくないですね。 承認のための承認なんざ必要じゃないということに、さっさと気づくべきです。 スポンサーサイト
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