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しかし一番は、無関心なんですよ。
「相手を人と思うな。」というのは、まさに至言ですね。
そうですね、相手は人ではありません。犬畜生か何かなのですよ。

犬畜生には無関心が一番でしょうね。
特に言動に一喜一憂せず、無関心でいることが一番なんですよ。




一番の仕打ちは、心底から嫌い、「差別」することだと思ったでしょう。



日本は米国に核落とされて黙っちゃったでしょ?

でも核を落としても覆らないものがあって、それこそが何しろ無関心なんですよ。


好きの反対は嫌いなどという人がいるが、毛嫌いし、差別すれば、人に、好きとは逆の打撃を与えられると思ったのでしょうか。

しかしながら犬に差別されて憤る人間がいるのでしょうか?

相手が貴方を、果たして人間と見做してくれるのでしょうか?




例えば復讐心に燃えているうちは、まるでダメなんですよね。
復讐のために何が発達しようと、何が優れようと、復讐は復讐でしかないんですよね。

そのようにして惨めな下位の者として生きている内は、何が発達しようが惨めなんですよ。
ずっと、上にいる人に向かって吠え続ける態度を辞められないという意味でね。


一番の復讐はね、復讐を辞める事ですよ。
復讐の域を出ないものしか生み出せないのだから、辞めるべきなんですよね。

それは、仮想敵である、上にいて高笑いを続ける人間、という想定をなくせということを意味している。
何故ならそれがある限りにおいて、貴方は一生上のほうから嘲笑われる人生だけを気にするからである。



特にそういうことに囚われていると、それを打ち消すことしか考えられなくなる。


最近盛んなAIの技術のひとつに、敵がいて、敵の作った偽物か本物かを判定し、その能力を何度も書き換え、本物を判定することに近づいていく・・・という仕組みがあるんですよ。

架空の顔写真を作る技術とかそうであったはずですよ?




復讐者の場合、「本物」の部分に「敵」が入るんですよね。

すなわち自分は敵にとって脅威になったか否かということだけを判定して生きている。
敵が中心の人生なのですよ。


宗教が廃れたとはいうが、自分の中に、「これが本物(神)である」というイメージがない、自分と比較するための本物や神のイメージがないというのも悲しいことですね。

代わりに敵とばかり比較する、自分は敵を蹴散らす能力があるか、否か?
ただそれだけが信条の人間が増えましたよね。

このくらいの能力を手に入れよう!という目標の代わりに、自分の味方以外を排除する能力だけが発達してもねえ・・・



「無関心」はね、「私は他に信じていることがありますから」という気持ちに端を発している。

それだけで、同時に「だから他のものを信じてません。」ということも意味するでしょ?

じゃあなんで人はわざわざ敵を作って排除するという行為にまで及ぶ必要があるのか?

その人は実の所信じてるものがなにひとつとしてないからでしょ?わざわざ否定しないと何も証明できないからでしょ?
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